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そこに誰かがいるということ

手荒れをしやすく,毎年,指紋が判別できないほど指先がバリバリになります。

が,今年は驚くほどすべすべ。

私の手をいつも見ていた家族が,水仕事を引き受けてくれ,「おやすみ手袋」的なやつを買ってきてくれ,荒れる暇がないんです。

手荒れに苦しむ友達が,「お医者さんに『どうしてもっとちゃんとケアしないんだ!』と怒られたけどさ~,そんな暇ないから荒れるんじゃんね」,

と言っていたのは本当にそうで,ハンドクリームを塗る暇もなく次々と水仕事をしなければならない状況が,バリバリの手を生むわけで,そんな状況さえなければ手は奇麗になるんです。ましてや手袋なんて使ったら・・・ねぇ。

そんな簡単なことに,長い間気づけずにいました。気づいたとしても,どうにも対処できないことでした。

そこに誰かが,自分を気遣ってくれる誰かがいてくれるということの大きさを,こんなことからも感じています。

たとえ客観的に恵まれていても,気付けない人はいます。なので,とてもありがたい体験なのかなと思います。

こんな小さなことから,もっとでっかいことまで,苦しいなぁとか痛いなぁとか思う状況はやってきますが,そんな状況にいてこそ,家に自分以外の誰かがいてくれるということが,すでにこの上ない幸せなんだということを,きちんとかみしめることができる人でありたいと思います。

楽あれば苦あり 苦あれば楽あり

とはよく言ったもので,悪い状況というのはそう長く続きません。そんな楽観はできない,という声が,不況の世の中から聞こえてきそうですが,

思うに,たぶんそれって相対的なもので,悪い状況が続くと,そのなかでの良い悪いが出てくるし,よい状況が続いても,そのなかでまた良い悪いが出てきてしまうので,結果的には続かないという意味だと思うんですよね。人間は際限なく贅沢で,逆境に強い生き物だから。

もちろん,待っているだけでなく,状況を改善する努力はしていかなければならないと思いますが,急に状況が良くなるというミラクルは万に一つしか起きないし,起きたとしても,やっぱり相対的な「苦」がそこに発生してくるのだと思います。

結局,あんまり「苦」について考え続けてもよくなくって,水戸黄門の主題歌でも歌いながら,楽観的に構えているのが一番なのかもしれません。

そこに誰かがいてくれるという「楽」があるのなら,なおさらのこと。

快適な(でもあまりデキルオンナ部屋ではない)「るみ研究室」ができ,手もすべすべしている,まさに「楽」の今日この頃,トイレに入ったら,ばーんと目に入ったのが「楽あれば苦あり」という言葉です。

あ~ と思いながら,少し前を思い浮かべながら,そんなことを感じました。

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