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2009年12月

メリークリスマス

メリークリスマス
知多に非常勤に行ってきました。
朝から二人欠席連絡があり、ちょっとぉ、と思いながら(ひがみ?)ゼミ室に入ったのですが、学生さんがケーキを買ってきてくれていて、

急遽、ゼミ生10人全員つれて買い出しに行き、クリスマスパーティをしました。男の子たちがケーキを貪り食べていて(マジパンやチョコまでじゃんけんで取り合いながら食べていて)、ちょっと驚きつつ、

ゼミはほとんどできなかったけど(苦)

研究の話ももりあがり、楽しいひとときでした。


楽しく「また来年」と言える方が大事かなと、去年の反省をふまえて思ってます。


今日で仕事納め。
せわしない一年でした。

近況報告する暇もなく。

ごめんなさい。


年賀状とか書きたいですが、最近少しずつ、簡単でなさそうな体の不調があります。

トシ?

年末年始、少し休息したいと思います。

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「鉄腕アトム」に涙する

親しくしてもらっている高校の先生と、谷川俊太郎さんのお話を聞きに行ってきました。

1週間予定を勘違いしていて、本当は今日、同期と長島スパーランドで鬼ごっこをしていたはずだったのですが、

あちゃー、です。先の約束は同期だったのですが、2人での約束+前金で支払い済みということで、反則のキャンセルをしてしまいました。みんな、ごめんなさい・・・

そんな後ろめたさを感じながら行ってきた会ではあったのですが、とてもとてもよくて、「しゃーないなー」くらいで許してくれているであろうみんなには感謝しています。

谷川さんは15日で御歳78歳になられる方で、かなりのおじいさんをイメージしていたのですが、ファッション含め、かなりマッチョでカッコいい方でした。

「菜食です」とおっしゃっていたのですが、外見的な印象は、朝からステーキ食べていそうな感じでした。

私にとって、谷川さんといえば、「20億光年の孤独」なのですが、10代で作られた詩だと聞いて驚きました。かと思えば、今でも赤ちゃんの気持ちで詩を読まれている・・・ 彼にとって、年齢を重ねるということは、変化をしていくことではなくって、年輪が増えていくことなのだそうです。だから、80歳になったって、10歳の自分は確実に自分の中にいる・・・ 説得力のあるたとえでした。

紡ぎだされる1つ1つの言葉が、本当に印象に残る方でしたが、そのひとつに、アナログな感性、という言葉がありました。

アナログというのは、アナロジー(類推)のことです。1つに表現されたものも、意味することがたくさんあるというような意味だと思います。一方で、デジタルな感性というのは、1対1対応で固有の意味をもつものという意味でしょう。

谷川さんの言葉を借りれば、私は、言葉のアナログ性が好きで、言葉遊びや詩も好きで、そこから「書く」ことの多い世界に入ってきたはずだったのですが、

いつの間にか、1つの言葉が確実に1つの意味に伝わるように、含意を持たないように、言葉に温度を持たせないようにして、デジタルな、ひんやりした言葉ばかりを生み出すようになっていることに気付きます。

絵や音楽といった表現を持たない私にとって、言葉を通した感性(心)のやり取りは、特別なものだったような気がするし、そういうやり取りができる相手を、いつも無意識に求めていたような気がするのに。

大学という場所は、そういう意味での言葉を使用しません。学術的な文章では、むしろデジタルな言葉が歓迎されます。学生とのやり取りでも、メッセージをシンプルに伝えることは、大切なことと思っています。世代の問題なのか何なのかわかりませんが、曖昧な表現を苦手としている学生さんが多い印象です。

(アナログな)「感性」全般についても、大事にしていないわけではないのだけれど、概念に縛られた、哲学的な議論にとどまっている気がします。
私たちは学者であると同時に教育者であるのだから、最終的には、さまざまな形があるなかで、どのようにして伝えることが良いのかを議論し、答えを出すことが求められるはずなのですが、どこまでいっても、形になってきません。そもそも表現するところまでを考えて議論していないというか。モノ作りに関わる理系の先生は、意外と聞く耳をもってくれるのですが、文系の先生たちの「概念」に対する執着心の強さには、時々参ります。

最近、どんどん心がすさんでいくのを感じるのは、大学的な世界に自分が染まりすぎているからなような気がしてなりません。大学で見つけていた、感性の通じ合える大切な人たちとのやりとりも、どんどん減ってしまっていって・・・ なんだかよくない傾向です。

対談の後に始まった息子さんのライブの最後の曲が、「鉄腕アトム」の主題歌でした。

対談、ライブを通して、谷川さんはたくさん朗読もしてくださったのですが、

「103歳のアトム」の朗読のあとにジャズアレンジの「鉄腕アトム」がつづいて、泣いてしまいました。

鉄腕アトムを聞いて泣いたのは初めての経験でした。

うまく言えませんが、こういうのって、すべての人が同じような体験ができるわけではないと思います。だからこそ、大切にしていかなければならないなと感じます。

「103歳のアトム」+「鉄腕アトム」=「生きること」に関する学習、なんて教育、つまらないでしょう。

これは、人を好きになる方法が教育できないということと似ているように思います。

結局、話は教育に戻ります。本当は、戻るべきではないのかもしれませんが、教えなければならないものに、そういうものが含まれている以上、戻ってくる宿命が課せられています。

ただ、そういうのは時々置いといて、じわ~っと何かを感じ取る時間を、もう少し大事にしたいなと思った1日でもありました。

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